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ありがとうJUGEM!また逢う日までJUGEM!ブログ移行します。
題名のとおり、ブログを以下URLに移行します。
引き続きお付き合い頂けると幸いです。
http://viet-danang-wakazo.blogspot.jp/

2009年6月からブログを始めて、
当初は更新しても2PV(自分だけが閲覧した可能性高し)だった
当ブログも気が付けば一部のマニアックな読者の皆様に
叱咤激励を頂き、おかげさまで10PVぐらいにはなりました。

そしてもうじきブログを始めて5年を迎えます。

僕は基本的に怠け者で何事もそんなに長続きしないほうなのですが、
それでもここまで続けられたのは、

わざわざコメントを書き込んでくれる方々、

コメントは書かないもののさりげなくいつも読んでくれている友人達、
※もしかすると家族も読んでるかもしれない。。

ブログを通じて連絡を頂き、仕事につながったり
一緒に飯を食いに行ったり、今も仲良くさせてもらっていたりと
愉快な出会いを頂いたり、

驚くことに某新聞社の記者さんから問い合わせを頂いて
取材&紙面掲載にまで至ったり(笑)、

僕はブログに助けられてここまでやってきました。

そんなブログサービスを無料で提供してくれたJUGEMと
運営会社のpaperboy&co社に御礼申し上げます。

ダナン修行編を終えて、今後日本編が始まるため
区切りをつける気持ちも兼ねてブログデザインを
変えてみるのもいいかな〜と思って移行です。

それでは引き続きよろしくお願いします〜!


| - | 00:58 | comments(0) | trackbacks(0) | -
希望を与える生き様〜無職説明会に参加して〜
ゴールデンウィークを満喫された皆様こんばんは。

僕ももうこれでもかというぐらい満喫させて頂きましたが
その中でもかなり楽しみにしていた
に行ってきました。

ついにあいつも逝くところまで逝ってしまったか・・・
とうなだれている読者様もいらっしゃるかと思いますが
僕が無職説明会に行った理由は以下のツイートに
とても共感してしまったからです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
無職という蔑まされがちな存在を少しでも地位向上というか良い点をきちんと
世に発信していくことでステータスアップさせたい、という自分の中で
昔から掲げている価値の下克上をしたいという想いもあったりする。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



もうね、、、こういうの大好物なんですよ!!!

恐縮ながら僕たちのリストラ経験からの逆襲も
同じ思想だと思っていて、
こりゃ行くしかねぇと思った次第です。

無職やリストラ以外にも蔑まされがちな
存在って世の中にたくさんあると思います。

でもそれって多くの場合イメージでしかないと思っていて
それを変えようとその当事者本人が何か取り組んでいるのは
もうね、、、大好物なんですよ!!!

で、実際行ってみてどうだったかと言うと、

・無職になるために3年就職したんだよ?

・無職業界の価値を上げるために君が無職なるメリットは何?

・無職を親や周囲に支援してもらうためにカーネルサンダースや徳川家康など
 大器晩成型の偉人エピソードを用意しておけ。

などなど迷言&名言がたくさん出て来ました。。

詳細はツイートのまとめも読んでみてください。





さて、ここからは僕の感想を書きたいと思うのですが、
まず驚いたのがお客さんの数。

多分50人以上はいたはずで運営側としても予想外だったらしく、
さらにお客さんが一体何を求めて来ているのかわからないと困惑して
イベント中2回休憩を取ってどのような話が求められているのか
作戦会議をしていました。笑

確かに僕もお客さんが何を期待してここに来ているのかは
結構興味あるところでして、
無職への興味がある人もいれば、一種のエンターテイメントとして
来ている人もいただろうし、プロ無職の方もいただろう。

ただ僕がイベントを通じて思ったことは、
ゲストで来ていた人たち存在そのものへの興味が
一番たったんじゃないだろうか。

タイトルどおり無職を通じて得た大切なことってやつを
皆さんの存在を通じて肌身で知りたかったんじゃないだろうか。

その大切なことってやつは
今既存の生活にはなかったり、今後進もうとする道の先にもなかったり
でも彼らにはありそうな何かに映ったのかもしれない。

その何かとは、とてもシンプルなんだけど、
自分らしく生きるってこと。
のような気がしてならない。

だって無職経験者並びに現在進行中の人たちが、
イベントまでやってのけて、
無職があったからこそ今の自分があると言えること自体、
ありのままの自分そのもので生きている証拠でしかないじゃないか。

もしかしたら世の中には
自分らしく生きて自分を表現する機会ってのは少ないのかもしれない。

いや生きてること自体、働いていること自体、
何か表現をしているはずなんだけど、
そこに充足感を感じてないってことなのかな。


そういやイベント中に今一緒にルームシェアして住んでいる奴が
イベントの無職面接に登場したり、その後もゲストの方々に
真面目な質問もしたりして、イベントを満喫して帰ったわけだけど
きっとあいつは希望をもらったと思うんです。そしてそれは僕も同じ。


希望を与える生き様。


それは希望を与える仕事というニュアンスとは
ちょっと違うかなって思ってる。

仕事という形作られたものでなくて、
成果や価値が明確に見えるものでなくて、
生き様という軌跡、過程を知ることで
共鳴したり、随所から希望を感じ取れること。

そんな存在が今求められているのかもしれない。
と無職経験のある僕には感じたりするのでした。



| - | 00:23 | comments(0) | trackbacks(0) | -
独りの道を行く人に
 1人の大学生が3月に大学を卒業し、
最近世界一周へと出かけました。

詳細は
をどうぞ。

彼のブログをベトナムで1人読むたびに
「くぅ....!いいこと書くじゃねーか! (´;ω;`)ウッ」
と思うことは数知れず。

そんな彼が出発の時に書いたブログからは、

肩書きや所属がなくなり1人になったということ
人とは違う道に行ってしまったということ
帰ってからの進路をどうするのかということ

などなど怖さや不安が垣間見える。

またつい最近まで一緒に墨田で生活していた
1人の大学生も海外就職のためにベトナムへ出発しました。

きっと彼も似たような気持ちがあるのではないだろうか。

それでも、彼らは自分に忠実に行動している。

違和感を大切にする。
後悔しない道をいく。
やりたいことを素直にやる。

そんなシンプルな想いと言葉が気持ちいいと思うのは僕だけだろうか。
いや、そう思いたい自分がいる。それが何より強いかもしれない。

気づけば僕も1人になって約半年が経つ。

上に怖さや不安とか書いているけれど
それは日本帰国当時、僕自身が一番感じていたことだ。

そしてそれと同じく後悔しない道を行きたい、
やりたいことをやりたい、そんなことも同じように思っていた。

そして今思うことは意外に自分は1人ではないということだ。

家族、友人、先輩、後輩、パートナー、世界各地にいる様々な人たち、
支えてくれている人もいれば一緒に同じ方向を向いて
歩いてくれる人もいる。

きっと彼らも世界各地で様々な人と出会い、叱咤激励を受けながら
そんなことを感じるのではないだろうか。

ここまで書いてふと新卒で入社した会社の
同僚が書いたコラムを思い出した。

もう5年も前だけどええこと書くなぁ・・・と
思ったのをよく覚えている。以下抜粋。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

人ごみは人生そのものを表している。

先日の営業帰り、そんなことを思いました。

19時に駅から会社へ帰社する途中。
帰宅する人たちと逆方面に歩く自分を客観的にみて
その人ごみの光景から人生を連想しました。 
人の流れに任せて、みんなが向く方向へ一緒に歩み生きていくことは楽。
反対に人の流れに逆らって生きてくことは難しい。

起業家は先陣きってみんなの逆流に進みます。
そして周りの人たちを自分と同じ方向に歩かせることが出来る人、
それが成功する起業家なのかなと思いました。 

また、その中で私は自分と同じ方向に進む男の人を
自分の前に見つけました。

そのとき思ったことが、「一人でも同じ方向に進む人を見つけられたら
それだけでとても心強いな、楽だなぁ」ということです。

自分と同じ方向に向かう人をたった一人でも見つけられて
その人の後ろにコバンザメのようにくっついて進むだけで
非常に楽をして進むことができました。

人にくっついて行動することは
自分で何も考えなくても済むので本当にとても楽です。

時には要領良く、
そうやって誰かの後をついていくことも必要だと思います。

ただ、人生そればっかりじゃおもしろくない。
辛さを感じてでも自分が先陣切って進む経験も時には必要で、
乗り越えることが大切です。
そうやって成長していける力を持っていることが
人間の強さだと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


どんな道でもきっと同じ方向を目指して歩いている人がいる。
それを知れたなら、感じれたなら、
1人の不安や怖さなんてものはたいしたものではないと思う。

長い時間をかけて旅をする彼に、
多くの人が経験していない道を行く彼に、
怖れながらもまだ見ぬ道を行こうとする誰かに、
その道は決して独りではないとここに綴っておきたい。


| 働く・生きる→キャリアを考える | 03:01 | comments(0) | trackbacks(0) | -
18歳、なんでもできるお年頃
この1週間高校生と会う機会が多かった。
というほど会ってないけど偶然に2人も会えたら
僕にとっては多いほうだと思う。

「18歳かー若いねー。」と言いつつふと気づいたのは
彼らと僕ではついに10歳も離れているではないか!
ってこと。

10歳上の方と話すことは多くても
10歳下の方と話すことはあんまりない。

だから僕は彼らと接しながら
普段は自分も40歳以上の方々に
こんな感じで見られていたのかな〜と思った。

こんな感じってのは
若さゆえのまっすぐさ、まぶしさもあれば
まだ多くのことを知らない小ささ、浅さもあり、
ただそれら全てを包括して
それでも何か託したい、与えたいと思う希望がそこにはある。

若いってことは社会の財産だと誰かが言っていたことが
感覚としてなんかわかった気がする。
ってほど自分はおっさん臭い年齢ではないのだが
若いってのはいいことだと改めて認識できた。




あと続けて彼らに「何でもできる歳だねー!」と僕が言ったら
「それよく言われます。でもそうなんでしょうかねぇ。」
と不可解そうに言っていた。

そう自分で言った矢先、
「確かに彼らは何でもできる歳だけど
じゃあもう僕たちは何でもできる歳ではないのか?」
と再考したくなった。

18歳、無限に道が開けているという点で確かに何でもできる。

しかし経済的に何でもできる状態かといえばそうではないし、
比較的社会経験や知識もまだまだ乏しいことが多いだろう。

そんな彼らにあるのは若さであり夢であり
失敗なんてものは存在しない歳だということだ。

できることは少ない。ただ何者にでもなれる機会がたくさんある。

一方28歳の僕たちのほうが無限に道が開けている?
ような気がしないでもない。

それなりに仕事の経験も積んでいるし、お金だって多少はあるだろう。
人それぞれに制約されていることはあるだろうが、
できることが増えているのは18歳より確実に僕らの年齢であると思う。

何者にでもなれる機会は以前と比べて減っている。
でもなりたい自分になるための手段と資源を
着実に持ち合わせているんじゃないだろうか。

だから僕が18歳の彼らに言いたかった「何でもできる」って意味は
「何をしてもリスクが低いから何でもやれ」ってことだったんだと思う。

その蓄積がいつしかできることを増やし、歳をとるごとに
厚みを増していくんではないかと思う。

そのスタートを早くからしたほうが人生面白くなるよということを
伝えたかったのかなぁと今振り返っている。

時々同世代の友達と「大学生の頃より今のほうが楽しいよな。」
と話すことがある。大学生の時の自分からは想像できないけれど
これは本当に素直にそう思える。

歳をとればとるほどに得れるものもあるんだなぁと
たかだか20代後半なんだけどそう思ってる。

歳をとるたびに楽しみが増えていく。
そんなことを考えて次の10年を生きていけたら
それはなんて面白いことなんだろうかと思う。

そしてそんな背中を希望しかない若き人たちに見せてエールを送ることも
歳をとる楽しさなのかもしれない。
とおっさん臭いブログを書いてしまった午前1時。



| どうでもいいけど、書きたいんです・・ | 01:17 | comments(0) | trackbacks(0) | -
若さが活きる場は世界にこそ転がっている
再びベトナムに行ってきました。
おかげさまの第5期チェンジメーカー留学。

約4か月ぶりのダナン、ホイアン、フエ。

懐かしいなぁ・・・と感慨深くなるほどの期間でもなく、
どちらかと言えば帰ってきた・・・とか思っている自分もいて
改めてここが大事な場所なんだと再確認できた時間でもありました。

振り返ればチェンジメーカー留学を始めたのは2年前。

その当時僕は25歳ぐらい。そして今27歳。

大学生の皆さんとは比較的交流しているほうじゃないかと思うのだが
そろそろ「みんなと年齢も近いから仲良くしてね (⊃´∀`)⊃))」という
年齢でもなくなってきたかなと思っている。

そういった年齢になってきたということはつまり、、

同じ時代観、世界観を持っているかどうかはわからないということ。
今求めているものや大切なものが違うかもしれないということ。
「若さ」が放つ熱量と質が変わってきているかもしれないということ。
などなど。

特に「若さ」については平均年齢約28歳のベトナムに
触れていると明らかな違いを感じる。

そしてその違いは気持ちいい。

全てがそればかりじゃないけれど
やはり元気をもらえたり、プラスの側面がたくさんあるように思う。

だからベトナムの若さ、勢いといわゆる日本の若者のマッチングというか
相性は結構いいんじゃいないかと思っている。

若さゆえに持つ悩みを受け入れる場、そして若さが活きる場が
世界にこそあるんじゃないかと思っている。

もっと日本の若者がベトナム並びに同じような
若さある国々に行ってそこにいる人たちと共に過ごすことは
もっとおすすめしてもいいんじゃないかと思うのです。




ここからはその相性の良さについて少し綴ってみたいと思う。

ざっくり言うと経済成長真っただ中の国、かつそれでいて
これから注目されるであろう地方の都市に根を張り
そこで日本人ならではの日本市場へのアクセスを担う役割から
海外の経験値を積むという時間は辛いことやデメリットも
もちろんあるでしょうが結構いいんではないでしょうかということだ。

そこで得れる楽しさはいろいろある。

街が変化、成長していく中である一定描ける未来予測の楽しさ。

足りないものがたくさんある中で自分が
価値提供でき、成功体験を積める楽しさ。

ある一定日本人が求められる場があるという楽しさ。

さらにベトナムのような親日的な国に行くならば、
日本人であるということに肯定的な感情を
持つこともできるのではないだろうか。

それらのような楽しさは今の日本で得れるだろうか?と考えたとき
もちろん得れるだろうが、こちらのほうがその機会に
たくさん出会えるということを伝えたい。

話は少し脱線するかもしれないが
僕はバブルというものを経験したことがない。

ということはおそらく他の20代日本人も
ほぼ同じ感覚を持っているのではないかと思う。

あと自分の主観で時代を振り返ると10歳の頃に阪神大震災、それと同じくして
地下鉄サリン事件や酒鬼薔薇聖斗、高校生の時に9.11、大学生の頃には
村上ファンドやホリエモンが捕まる、あとは自殺者3万人超え、
消えた年金問題などなど僕が暗いニュースばかり覚えているだけなのか
どうかはわからないがJAPAN AS NO1の時代では決してなかった。

いいニュースと言えばスポーツでオリンピックやWBC、ワールドカップなど。

そういった日本で青春期を生きてきて、23歳から3年半ベトナムに
住んで思うのは今の日本よりベトナムのような経済成長していく中で
得られる国のほうが時代の流れに乗るという勘所や成功体験、
明るい未来へのビジョンなどは描きやすい。かもしれないし機会がたくさんある。
のではないかなぁ。と思っているがどうだろうか。

だからこそ今経済成長している国々で、
その機会がたくさんある場所で、
身を投じることは日本では得れないものを得れると思うのです。




また行く街が地方都市ならより自分の希少価値が高くなると思う。

例えばダナンなら日本人150人、フエなら20人、ホイアンなら
日本人10人程度しか日本人がいない。そしてその中で20代、
さらにインターネット上で情報発信している人、などと絞り込んでいくと
1ケタ程度になるのではないだろうか。

当たり前だが日本に日本人は山ほどいる。

よって何か行動を起こしたりいいアイデアを思い付いたとしても
既に自分よりもレベルの高いプレイヤーはたくさんいるため
自分が選ばれる可能性は自ずと低くなる。

するともっとスキルをあげなきゃ、アイデアを尖らせなきゃとなって
行動を起こすスピードは遅くなる。

しかし、海外に行けば上記のように日本人が少ない街がある。
それでいてこれから注目されるであろう街がある。

そのような比較的小さな市場では
参入してくるプレイヤーもそう多くはいない。

そこで現地に飛び込み日本市場に焦点を
当てた役割を担ってみてもいいかもしれない。

高齢になればなるほど比較的使わなくなるインターネットを駆使して
世界へ発信し人とつながることは若者が優位性を獲得できる機会だと思う。

そうなると能力が高い低いうんぬんではなく選ばれる。
選ばれることで経験値を高め、その中で成功体験を多く積める。

英語話せる人もいるだろうし、ベトナムのような東南アジア各国には
日本語話せる人もたくさんいる。

地方都市には日本人も少ないだろうから
きっと歓迎されるだろうし多くのつながりができるだろう。

そしてこういったことが成立し得ること自体
「日本」があるからこそできることであると
認識できる時がくるのではないだろうか。

その認識を通じて自国の先人と各国の人々に敬意を持ち、
自分なりの世界との関わり方を
紡いでいくきっかけに成り得るのではないだろうか。




ここではざっくりと若者という一括りにしてしまい恐縮だけど、
若者というのは圧力とどう戦うのかということに
悩む存在なのではないかと思う。

なぜ悩むのかといえば
正しいと思うことがあるのに言えなかったり、
やりたいことがあるのに他人の目を気にしたり、
自分を信じきれない弱さだったり、
自分が自分として生きられない悩みがあるのではないだろうか。

僕はそんな圧力から積極的に逃げ出して
いわゆる世間一般の正しさ常識が通じない世界で
活躍することもできるんじゃないかと思っている。

そして自分の正しさや自分が今持っている資源で
生きられる場、認められる場が世界にはあると思っている。

かの大前研一氏が自分を変える3原則は
付き合う人を変える
住む場所を変える
時間配分を変える
と言うように国を変えれば、社会の正しさや常識が変わり、
そこへ行けば自ずと自分を変えられるのではないだろうか。

まあそんなことを約1週間、若き人たちとベトナムで過ごし、
若さが活きる場は世界にこそ転がっているんじゃないかと思ったのです。




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